京都、葵祭とわがまち「北船木」
京都新聞の2007年5月11日に掲載していただきました。
記事では、
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葵祭 4 裏方さんたち
1万5千本のアオイ 使命感一つに
木村常男さん
6世紀中ごろに始まったとされる葵祭は、賀茂祭や単に祭といわれた。一方、膨大な量のフタバアオイを飾る風習から、葵祭も古くからの呼称とされる。何度も断絶の危機を越えてきた祭りだが、元禄7(1694)年、江戸幕府の後援と霊元上皇の尽力による復興は、200年もの中断の後だった。アオイは、時の幕府の紋所でもあった。そのせいかこの時から、葵祭の呼称が定着した、ともいわれる。
今でもアオイは、人といわず物といわず、葵祭にかかわるすべてに飾られる。その数は「祭り全体では1万4、5千本にはなる」=下鴨神社禰宜(ねぎ)平野修保(60)=といわれる。いったい、だれがどこで用意するのか。
「一カ所から取りすぎないよう気を使う。最近山林は、伐採の問題や土砂崩れで環境が変わり、なかなか育つ環境を維持するのが難しい」。下鴨神社に毎年フタバアオイを納める1人、北区雲ケ畑の高橋宏始(44)は、話をこう切り出した。葵祭になると、5月3日の流鏑馬(やぶさめ)神事に間に合うよう、1週間ほどかけて4500本を届ける。「昨年亡くなった母(玉江)と一緒に、25年前から山に入り採取してきた。5年前に母が倒れ、以来一人で集めているんですよ」と高橋。「サラリーマンで正直つらいが、この務めはやっていかねばならない。環境も変わってきた。これからは決めた場所で栽培することも必要だろう。地元の森林組合とも相談するなどして、実現したい」と。
藤木保誠さん
葵祭にはアオイ以外にも、旧社領の人たちからいろいろな産品が奉納される。この時期、上賀茂神社に納められるアユもその一つ。梁(やな)漁という独特の仕掛けによる漁法で捕獲され、塩干しされたアユが高島市安曇川町北船木から献上される。
「しきたりというか、毎年この時期になると、神社から『よろしく頼みます』というはがきが組合に来ますんやわ。もう300年から400年も続いているようです」と北船木漁業協同組合の理事で、梁漁の代表木村常男(58)。「献上するのは3キロ。塩水につけた後、2、3日天日干しして送る。昔は、少しでも早くと大津まで船で運んだといいますが、時代ですね、今では宅配便ですよ」と笑う。
下鴨、上賀茂両神社にとって、葵祭は最大の年中行事。「早くに亡くなったおやじの年齢に近づき、その苦労が、よくわかるようになりました」−上賀茂神社でこの祭を担当する権(ごん)禰宜藤木保誠(49)はしみじみ語る。社家の生まれ。大学を終えるころ、父保治が亡くなった。
釣部有希さん(右)と小川恵子さん
藤木は、この父の代わりに上賀茂神社に奉職。父同様、祭りを取り仕切るようになった。「日にちも時間もすべて決まっている。それまでに準備が何もかもきちんと整っていないと祭りはできない。神饌(しんせん)を始めその数は多く、毎年やっているのに、難しい」と藤木。「これまでは、大過なかった。今年もそうできれば」と気を引き締める。
小西伸夫さん
「境内のアオイがそろそろ咲き始めると、いよいよきたなあと思います」と、下鴨神社の巫女(みこ)釣部有希(25)。大阪出身、京都女子大を卒業して奉職した。「単なる観光パレードではありません。毎年、天皇のお使いの列を厳かに迎える心の準備をします」と釣部。京都産大を出た同じ巫女の小川恵子(25)は群馬県出身。「見た目のきれいさもあるが、国家の安泰を願う祭り。ごらんになる方もこの点を知って見ていただけたら」。多忙さより、祭りの意義が2人の口をついて出る。
葵祭行列保存会の事務局長小西伸夫(73)は、ひょんなことからこの祭りにかかわった。「宮内庁関係の中根俊彦前事務局長(故人)と、造園を通しての知り合いだった。それで、手伝ってくれないかで始めて、もう6年目に」と話す。「旧お公家さん、両社家、宮内庁関係者…となかなか気も遣います。しかし、何といっても日本、京都を代表する祭りです。スタッフや各部門の方々の協力を得、これからも立派に維持して行きたい」と心がける。
使命感に満ち満ちた気迫。今年も、こんな裏方の思いが、祭りをもり立てる。(敬称略)
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伝統の祭り、「葵祭」その祭りに、わがまちのアユがお役に立っている。
いいことですなぁ。
記事では、
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葵祭 4 裏方さんたち
1万5千本のアオイ 使命感一つに
木村常男さん
6世紀中ごろに始まったとされる葵祭は、賀茂祭や単に祭といわれた。一方、膨大な量のフタバアオイを飾る風習から、葵祭も古くからの呼称とされる。何度も断絶の危機を越えてきた祭りだが、元禄7(1694)年、江戸幕府の後援と霊元上皇の尽力による復興は、200年もの中断の後だった。アオイは、時の幕府の紋所でもあった。そのせいかこの時から、葵祭の呼称が定着した、ともいわれる。
今でもアオイは、人といわず物といわず、葵祭にかかわるすべてに飾られる。その数は「祭り全体では1万4、5千本にはなる」=下鴨神社禰宜(ねぎ)平野修保(60)=といわれる。いったい、だれがどこで用意するのか。
「一カ所から取りすぎないよう気を使う。最近山林は、伐採の問題や土砂崩れで環境が変わり、なかなか育つ環境を維持するのが難しい」。下鴨神社に毎年フタバアオイを納める1人、北区雲ケ畑の高橋宏始(44)は、話をこう切り出した。葵祭になると、5月3日の流鏑馬(やぶさめ)神事に間に合うよう、1週間ほどかけて4500本を届ける。「昨年亡くなった母(玉江)と一緒に、25年前から山に入り採取してきた。5年前に母が倒れ、以来一人で集めているんですよ」と高橋。「サラリーマンで正直つらいが、この務めはやっていかねばならない。環境も変わってきた。これからは決めた場所で栽培することも必要だろう。地元の森林組合とも相談するなどして、実現したい」と。
藤木保誠さん
葵祭にはアオイ以外にも、旧社領の人たちからいろいろな産品が奉納される。この時期、上賀茂神社に納められるアユもその一つ。梁(やな)漁という独特の仕掛けによる漁法で捕獲され、塩干しされたアユが高島市安曇川町北船木から献上される。
「しきたりというか、毎年この時期になると、神社から『よろしく頼みます』というはがきが組合に来ますんやわ。もう300年から400年も続いているようです」と北船木漁業協同組合の理事で、梁漁の代表木村常男(58)。「献上するのは3キロ。塩水につけた後、2、3日天日干しして送る。昔は、少しでも早くと大津まで船で運んだといいますが、時代ですね、今では宅配便ですよ」と笑う。
下鴨、上賀茂両神社にとって、葵祭は最大の年中行事。「早くに亡くなったおやじの年齢に近づき、その苦労が、よくわかるようになりました」−上賀茂神社でこの祭を担当する権(ごん)禰宜藤木保誠(49)はしみじみ語る。社家の生まれ。大学を終えるころ、父保治が亡くなった。
釣部有希さん(右)と小川恵子さん
藤木は、この父の代わりに上賀茂神社に奉職。父同様、祭りを取り仕切るようになった。「日にちも時間もすべて決まっている。それまでに準備が何もかもきちんと整っていないと祭りはできない。神饌(しんせん)を始めその数は多く、毎年やっているのに、難しい」と藤木。「これまでは、大過なかった。今年もそうできれば」と気を引き締める。
小西伸夫さん
「境内のアオイがそろそろ咲き始めると、いよいよきたなあと思います」と、下鴨神社の巫女(みこ)釣部有希(25)。大阪出身、京都女子大を卒業して奉職した。「単なる観光パレードではありません。毎年、天皇のお使いの列を厳かに迎える心の準備をします」と釣部。京都産大を出た同じ巫女の小川恵子(25)は群馬県出身。「見た目のきれいさもあるが、国家の安泰を願う祭り。ごらんになる方もこの点を知って見ていただけたら」。多忙さより、祭りの意義が2人の口をついて出る。
葵祭行列保存会の事務局長小西伸夫(73)は、ひょんなことからこの祭りにかかわった。「宮内庁関係の中根俊彦前事務局長(故人)と、造園を通しての知り合いだった。それで、手伝ってくれないかで始めて、もう6年目に」と話す。「旧お公家さん、両社家、宮内庁関係者…となかなか気も遣います。しかし、何といっても日本、京都を代表する祭りです。スタッフや各部門の方々の協力を得、これからも立派に維持して行きたい」と心がける。
使命感に満ち満ちた気迫。今年も、こんな裏方の思いが、祭りをもり立てる。(敬称略)
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伝統の祭り、「葵祭」その祭りに、わがまちのアユがお役に立っている。
いいことですなぁ。
県政プラスワンに掲載されました。
滋賀プラスワン1月号に載せていただきました。
記事では、
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新竹取物語 切って使って、竹林の美しさを取り戻そう
江戸時代、安曇川の堤防を補強する目的で河川敷に竹が植えられ、資材として伐採された竹は、竹カゴなどの日用品や扇骨に使われていました。利用されることで美しい竹林が保たれていましたが、生活スタイルが変わり竹の需要が少なくなると、竹林は放置されたままとなりました。このままでは、景観の悪化、ゴミの不法投棄の問題、そして安曇川増水時には水の流れを阻害し、洪水となることが心配されています。
そこで、平成17年に北船木地区の住民が中心となり、安曇川竹遊会が発足しました。「安曇川の美しい竹林景観をよみがえらせよう」を合言葉に、竹林の伐採作業、竹を使った道具や遊びの体験イベントの開催など、地域住民、市、県がそれぞれの立場で協力し合って活動しています。
安曇川に美しい竹林をよみがえらせよう
安曇川竹遊会 会長 三谷 義雄さん
さまざまな利用法があった竹も、今では園芸や造園に使うくらいです。ごく最近では、機械で竹チップ状にしたものを肥料として利用しました。この地区で私たちが暮らす以上、行政の施策を待つだけではなく地域住民全員が知恵を出し合い、何ができるか真剣に考えないといけないと思い、安曇川竹遊会を発足させました。竹遊会では定期的に竹を伐採するとともに、「竹でできること」を考えるため、先進地の視察や専門家を招いての研修会を重ねています。身近にある竹を有効活用し、環境を良くするとともに、かつての美しい竹林を取り戻したいです。
第3回 竹林リフォーム体験まつり
昨年11月4日、安曇川北流と南流の分岐点付近で「第3回竹林リフォーム体験まつり」が行われました。安曇川竹遊会が主催するこのイベントは、河川環境の保全・地域の活性化を地域のみなさんと進めることを目的として、平成17年から行われています。
当日は、竹林の伐採作業に始まり、伐採した竹を使ったおもちゃやカゴ、草履作りのほか、竹筒でごはんを炊くなど、さまざまな体験に世代を超えて参加者が集いました。
ポックリっていう竹でできたおもちゃだよ
参加者の声
竹の実用性を実感
三谷 真由美さん
北船木地区に10年以上住んでいながら、竹のことを意識したことはありませんでした。
一緒に参加した子どもは、竹馬や竹とんぼを持ち帰り、楽しく遊んでいます。竹の実用的な面を知ることができたので、竹ぼうきなどは掃除に役立てたいと思います。
こんな、タイトルの写真が、載っていました。
がんばれ〜!
竹の輪でシャボン玉ができた!!
みんなで力をあわせて竹の伐採作業中
ほかほかご飯ができたよ〜
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
いいっすなぁ
記事では、
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新竹取物語 切って使って、竹林の美しさを取り戻そう
江戸時代、安曇川の堤防を補強する目的で河川敷に竹が植えられ、資材として伐採された竹は、竹カゴなどの日用品や扇骨に使われていました。利用されることで美しい竹林が保たれていましたが、生活スタイルが変わり竹の需要が少なくなると、竹林は放置されたままとなりました。このままでは、景観の悪化、ゴミの不法投棄の問題、そして安曇川増水時には水の流れを阻害し、洪水となることが心配されています。
そこで、平成17年に北船木地区の住民が中心となり、安曇川竹遊会が発足しました。「安曇川の美しい竹林景観をよみがえらせよう」を合言葉に、竹林の伐採作業、竹を使った道具や遊びの体験イベントの開催など、地域住民、市、県がそれぞれの立場で協力し合って活動しています。
安曇川に美しい竹林をよみがえらせよう
安曇川竹遊会 会長 三谷 義雄さん
さまざまな利用法があった竹も、今では園芸や造園に使うくらいです。ごく最近では、機械で竹チップ状にしたものを肥料として利用しました。この地区で私たちが暮らす以上、行政の施策を待つだけではなく地域住民全員が知恵を出し合い、何ができるか真剣に考えないといけないと思い、安曇川竹遊会を発足させました。竹遊会では定期的に竹を伐採するとともに、「竹でできること」を考えるため、先進地の視察や専門家を招いての研修会を重ねています。身近にある竹を有効活用し、環境を良くするとともに、かつての美しい竹林を取り戻したいです。
第3回 竹林リフォーム体験まつり
昨年11月4日、安曇川北流と南流の分岐点付近で「第3回竹林リフォーム体験まつり」が行われました。安曇川竹遊会が主催するこのイベントは、河川環境の保全・地域の活性化を地域のみなさんと進めることを目的として、平成17年から行われています。
当日は、竹林の伐採作業に始まり、伐採した竹を使ったおもちゃやカゴ、草履作りのほか、竹筒でごはんを炊くなど、さまざまな体験に世代を超えて参加者が集いました。
ポックリっていう竹でできたおもちゃだよ
参加者の声
竹の実用性を実感
三谷 真由美さん
北船木地区に10年以上住んでいながら、竹のことを意識したことはありませんでした。
一緒に参加した子どもは、竹馬や竹とんぼを持ち帰り、楽しく遊んでいます。竹の実用的な面を知ることができたので、竹ぼうきなどは掃除に役立てたいと思います。
こんな、タイトルの写真が、載っていました。
がんばれ〜!
竹の輪でシャボン玉ができた!!
みんなで力をあわせて竹の伐採作業中
ほかほかご飯ができたよ〜
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いいっすなぁ
2007年1月4日 危ない人がおりました。
昔の新聞記事が見つかりました。
2007年1月5日の新聞です。 記事では、
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
4日午前10時5分ごろ、愛知県春日井市東山4丁目、会社員辻野圭徳さん(35)から
「琵琶湖でボートが転覆した」と110番通報があった。
高島署などの警備艇6隻と滋賀県警のヘリコプターが捜索し、高島市安曇川町北船木沖
約500メートルで、バス釣り用モーターボートにつかまっていた辻野さんを発見。
同10時45分ごろ救出した。辻野さんにけがはなかった。
高島署の調べでは、辻野さんは同日午前8時半ごろ、1人で滋賀県西浅井町の大浦漁港を出港。
強風を受けて船が浸水したため自ら転覆させ、浮かんだ船体につかまりながら携帯電話で通報、
救助を待ったという。
事故当時は約13メートルの北風が吹いており、波の高さは70−80センチあったという。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
おおぅ、助かって、良かったですねぇ。
でも、冬のびわ湖、一人で西浅井の大浦から流されちゃったんですねえ。
ちょっと無謀かなぁ。
2007年1月5日の新聞です。 記事では、
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4日午前10時5分ごろ、愛知県春日井市東山4丁目、会社員辻野圭徳さん(35)から
「琵琶湖でボートが転覆した」と110番通報があった。
高島署などの警備艇6隻と滋賀県警のヘリコプターが捜索し、高島市安曇川町北船木沖
約500メートルで、バス釣り用モーターボートにつかまっていた辻野さんを発見。
同10時45分ごろ救出した。辻野さんにけがはなかった。
高島署の調べでは、辻野さんは同日午前8時半ごろ、1人で滋賀県西浅井町の大浦漁港を出港。
強風を受けて船が浸水したため自ら転覆させ、浮かんだ船体につかまりながら携帯電話で通報、
救助を待ったという。
事故当時は約13メートルの北風が吹いており、波の高さは70−80センチあったという。
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おおぅ、助かって、良かったですねぇ。
でも、冬のびわ湖、一人で西浅井の大浦から流されちゃったんですねえ。
ちょっと無謀かなぁ。
鈴鹿野風呂 句碑紹介
私の目標、その1. かの鈴鹿野風呂先生の句碑、すべてを写真に納めること。
そのはじめに、何処にあるのか、調査しました。
鈴鹿野風呂・丸山海道・佳子(1)
1.茨城県水戸市北見町2-26 東武館庭内
白梅や国守る魂磨く館 碑陰なし
2. 同 同 同 同
夫妻武を教へて倦まず梅の門 碑陰なし
3.長野県上田市(丸子) 鹿教湯温泉
一天に雲置かぬ日の朝ざくら
4.石川県小松市赤瀬町 荒俣峡
万緑に一水白き鮎の谿
5.岐阜県揖斐郡揖斐川町 城台山公園 文学碑の径
合流をみちひく揖斐の夕螢(海道) 碑陰なし
6。福井県三方郡美浜町日向(ひるが)10-66 長久寺境内
銀河湖映りゑて日向歴史古り S.35.11.
7.滋賀県大津市御陵町2-2 大津歴史博物館 上り坂途中
大琵琶の八十の浦なる浮寝鳥 S.36.如月(2).
8. 同 同 茶が崎4番地 「ホテル紅葉」庭園内
湖を東枕に明易き 碑陰なし
9. 同 同 和邇中88 御嶽山滋賀大教会
寒垢離に比良山おろし荒ぶ日々
10。 同 高島市安曇川町北船木2616 旅館「清水楼」入口
万葉の安曇川にして簗を守る
11. 同 栗東市安養寺 東方山安養寺境内
経聞きし蛙のこゑの玲瓏堂(海道) 蝉涼し自力自力と生まれきて(佳子)
12.三重県三重郡菰野町菰野8541 三岳寺(さんかくじ)
囀りに暮れ累卵の磧石(海道)
13. 同 同 同 菰野 坂井朝光医院庭内
荒涼と盆の満月残るのみ(海道)
14. 同 亀山市本丸町 亀山城址 演武場 冠木門脇
くゞり門押せば開くなり寒げいこ 碑陰なし
15. 同 伊賀市上野農人町354 愛染院「芭蕉故郷塚」隣
一すぢの俳系守りて翁の忌 S.43.9.15
16. 同 志摩市志摩町和具 志摩大島
わだつみの神のかざしの濱おもと
17.京都府京都市左京区吉田神楽岡町 吉田神社南参道 今宮社跡
神丘に啼く鴬の臈たけて S.43.3.
18. 同 同 同 吉田中大路町8-1 鈴鹿仁氏宅庭内
萬両の庭いくとせの日はめぐる S.43.4.4
19. 同 同 同 岡崎西天王町 岡崎会館北側 旧武専南門前
風薫る左文右武の学舎跡 S.38.吉
20. 同 同 同 岡崎東天王町51 岡崎神社 斎館前
霜解くる神の白砂底しれず(海道) S.48.3.
21. 同 同 同 浄土寺真如町82 真如堂覚円院門前
宝永元年九月の露の滋かりけむ 碑陰なし
22. 同 同 同 鹿ケ谷御所ノ段町30 法然院庭内
鴬や今日の本尊にこやかに S.21.4.
23. 同 同 同 一乗寺門口町25 詩仙堂丈山寺庭内
さにづらふ紅葉の雨の詩仙堂 碑陰なし
24. 同 同 同 岩倉上蔵町100 岩倉具視旧居
手植松こゝに岩倉踊かな(海道) 万の蝉維新文筥にこゑをたむ(佳子) H.4.12.吉
25.京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬寺 九十九折途中 四脚門近く
筒鳥に神尊けれは磴けはし(海道) 花杉に息のにこりは許されす(佳子) S.56.5.
26. 同 同 同 大原来迎院町540 三千院魚山大原寺 勝林院内
夕ぼたる末は一つの律呂川(海道) 大阿弥陀いだく魚山に初音澄む(佳子)
27. 同 同 東山区円山町 円山公園内 市民の森
朱の宮を神は住家として露けし(海道) S.49.6.
28. 同 同 同 同 同 同
傘さしてきく花の鐘父(ふ)おん母(ぼ)おん(佳子) S.49.6.
29. 同 同 同 泉涌寺山内町27 泉涌寺塔頭 新善光寺庭
添水闇小石が石に育つとき(海道) 本尊にそわかそわかと蝶生る(佳子) H.2.5.吉
30. 同 同 上京区寺之内通新町西入妙顕寺前町514 妙顕寺内 善行院庭内
今年竹まこと真緑光琳忌 碑陰なし
31. 同 同 同 御前通り今小路下る 西雲寺本堂前
梅早し遠ひゞきして神の鈴 S.30.9.
32. 同 同 右京区嵯峨二尊院門前長神町27 二尊院境内
春深し佛の指の置きところ(海道) 萩咲かす二尊に触れて来し風に(佳子) S.57.3.
33. 同 同 同 嵯峨釈迦堂藤ノ木町461 清涼寺境内
釈迦も粧ふ初秋の襞こまやかに(海道) もろ蝶に息あはせきく釈迦若し(佳子) S.45.10.
そうなのです、33カ所の句碑があります。
在ったはずです。 それをすべて写真に納める。そのためには、茨城県から、
それに、、、非公開のお寺の境内まで、
そのはじめに、何処にあるのか、調査しました。
鈴鹿野風呂・丸山海道・佳子(1)
1.茨城県水戸市北見町2-26 東武館庭内
白梅や国守る魂磨く館 碑陰なし
2. 同 同 同 同
夫妻武を教へて倦まず梅の門 碑陰なし
3.長野県上田市(丸子) 鹿教湯温泉
一天に雲置かぬ日の朝ざくら
4.石川県小松市赤瀬町 荒俣峡
万緑に一水白き鮎の谿
5.岐阜県揖斐郡揖斐川町 城台山公園 文学碑の径
合流をみちひく揖斐の夕螢(海道) 碑陰なし
6。福井県三方郡美浜町日向(ひるが)10-66 長久寺境内
銀河湖映りゑて日向歴史古り S.35.11.
7.滋賀県大津市御陵町2-2 大津歴史博物館 上り坂途中
大琵琶の八十の浦なる浮寝鳥 S.36.如月(2).
8. 同 同 茶が崎4番地 「ホテル紅葉」庭園内
湖を東枕に明易き 碑陰なし
9. 同 同 和邇中88 御嶽山滋賀大教会
寒垢離に比良山おろし荒ぶ日々
10。 同 高島市安曇川町北船木2616 旅館「清水楼」入口
万葉の安曇川にして簗を守る
11. 同 栗東市安養寺 東方山安養寺境内
経聞きし蛙のこゑの玲瓏堂(海道) 蝉涼し自力自力と生まれきて(佳子)
12.三重県三重郡菰野町菰野8541 三岳寺(さんかくじ)
囀りに暮れ累卵の磧石(海道)
13. 同 同 同 菰野 坂井朝光医院庭内
荒涼と盆の満月残るのみ(海道)
14. 同 亀山市本丸町 亀山城址 演武場 冠木門脇
くゞり門押せば開くなり寒げいこ 碑陰なし
15. 同 伊賀市上野農人町354 愛染院「芭蕉故郷塚」隣
一すぢの俳系守りて翁の忌 S.43.9.15
16. 同 志摩市志摩町和具 志摩大島
わだつみの神のかざしの濱おもと
17.京都府京都市左京区吉田神楽岡町 吉田神社南参道 今宮社跡
神丘に啼く鴬の臈たけて S.43.3.
18. 同 同 同 吉田中大路町8-1 鈴鹿仁氏宅庭内
萬両の庭いくとせの日はめぐる S.43.4.4
19. 同 同 同 岡崎西天王町 岡崎会館北側 旧武専南門前
風薫る左文右武の学舎跡 S.38.吉
20. 同 同 同 岡崎東天王町51 岡崎神社 斎館前
霜解くる神の白砂底しれず(海道) S.48.3.
21. 同 同 同 浄土寺真如町82 真如堂覚円院門前
宝永元年九月の露の滋かりけむ 碑陰なし
22. 同 同 同 鹿ケ谷御所ノ段町30 法然院庭内
鴬や今日の本尊にこやかに S.21.4.
23. 同 同 同 一乗寺門口町25 詩仙堂丈山寺庭内
さにづらふ紅葉の雨の詩仙堂 碑陰なし
24. 同 同 同 岩倉上蔵町100 岩倉具視旧居
手植松こゝに岩倉踊かな(海道) 万の蝉維新文筥にこゑをたむ(佳子) H.4.12.吉
25.京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬寺 九十九折途中 四脚門近く
筒鳥に神尊けれは磴けはし(海道) 花杉に息のにこりは許されす(佳子) S.56.5.
26. 同 同 同 大原来迎院町540 三千院魚山大原寺 勝林院内
夕ぼたる末は一つの律呂川(海道) 大阿弥陀いだく魚山に初音澄む(佳子)
27. 同 同 東山区円山町 円山公園内 市民の森
朱の宮を神は住家として露けし(海道) S.49.6.
28. 同 同 同 同 同 同
傘さしてきく花の鐘父(ふ)おん母(ぼ)おん(佳子) S.49.6.
29. 同 同 同 泉涌寺山内町27 泉涌寺塔頭 新善光寺庭
添水闇小石が石に育つとき(海道) 本尊にそわかそわかと蝶生る(佳子) H.2.5.吉
30. 同 同 上京区寺之内通新町西入妙顕寺前町514 妙顕寺内 善行院庭内
今年竹まこと真緑光琳忌 碑陰なし
31. 同 同 同 御前通り今小路下る 西雲寺本堂前
梅早し遠ひゞきして神の鈴 S.30.9.
32. 同 同 右京区嵯峨二尊院門前長神町27 二尊院境内
春深し佛の指の置きところ(海道) 萩咲かす二尊に触れて来し風に(佳子) S.57.3.
33. 同 同 同 嵯峨釈迦堂藤ノ木町461 清涼寺境内
釈迦も粧ふ初秋の襞こまやかに(海道) もろ蝶に息あはせきく釈迦若し(佳子) S.45.10.
そうなのです、33カ所の句碑があります。
在ったはずです。 それをすべて写真に納める。そのためには、茨城県から、
それに、、、非公開のお寺の境内まで、






